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【リレーエッセイ】「いのちと多様性をことほぐ世界のために」/2015年10月1日発行

更新日:2015/10/01

今回のエッセイは、高知新聞学芸部 松田さやかさんからのバトンです♪

筆者

高知県立大学看護学部2回生 田邉佳香さん

「いのちと多様性をことほぐ世界のために」

 日曜の夕方、ソケリッサ!という路上生活者のおじさんたちの踊りを観に伴侶と息子・娘の4人で蛸蔵へでかけた。寺尾沙穂さんのゆるやかに包み込むような歌声にあわせて、振り付けをしたアオキ裕キさんと鍛えられてない身体のおじさんたちが「楕円の夢」を踊る。

 昼間に参加したソケリッサ!の親子ワークショップでは、「生まれてくるどの表現も大事に」という言葉に背中を押されて、参加者がひとりずつ「わたしのかいじゅう」を表現した。輪になって座った参加者がその輪の中でなされる身体表現を黙って見守る。「わたしのかいじゅう」の歌にあわせて順々に輪の中に立つ表現者の静止、緩やかな動き、激しい動き、のびやかな手先、ぎこちない動き、なりきった表情、照れた表情。さっきまで「おなかすいた、シュウくんそとにいく。おどらんきね。」と脱出を試みていた息子はかろうじて壁際で椅子に腰かけている。そんな彼にはさりげなく、「座っていることも表現」という言葉がかけられた。

 黙ってひとりひとりの怪獣の表現をみているのは胸がじーんとしてとても満ち足りた時間だった。この人たちとこの時間この場所を共有できてよかったな、こんな表現の場があるの気持ちいいね、あなたの表現を共有してくれてありがとう。言葉以前・言葉以上の身体表現が戻ってくる喜び。世代も性別も超えて表現を交歓しあう豊かさ。子どもたちと同じ土俵で対等に、真剣に自分の中のものを表現するおとなの存在。子どもたちは何を感じただろう。

 わたしと伴侶は洗濯物の干し方からニュースの見方までかなり違う。お互い理解できないことがいろいろある理由は、性別の違いでも、50代と30代の年の差でも、生まれ育った環境の違いでも、経験してきた出来事の違いでもある。教員を辞めて助産師になるという寝言みたいなことを言う私に長年断固反対したのも当然だ。そんな伴侶の気が変わったのはアニタ助産院でのお産に立ち会った後だった。あのとき伴侶が何を感じたのか聞いたことはない。

 それでも、いくつかは気持ちの重なりを確信している。楕円の夜に現代の「かぶき者」のみなさんと無邪気に飛び跳ねて踊り、最後は真ん中で斜めにかまえて見得を切っていた娘と、それを観客席から見ていた息子。様々な子どもたちの生きるこれからの世界がどうかこんな命と多様性を包み込みことほぐ空間であってほしい、そうでなくてはならない。そして、それこそがわたしたち男女が共同で参画すべきことであり、そのために自分の意見を言い、相手の意見を聞き、どんなに理解しがたいお互いであっても、コミュニケーションをあきらめないでいよう。みんな違って仕方ない、でも自分と相手の口をふさぐことはしないでいよう。

 そういうわけで、わたしたちは中心がひとつのまんまる家族ではない。焦点がふたつ、近づいたり離れたり、たまには重なってまんまるにもなれるが、基本はぐにゃぐにゃ変形する楕円家族。このまま自由にいろんな楕円模様を描いていけばいいと思う。それはそれで味のある柄になるんじゃないだろうか。




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