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2014年2月28日発行メールマガジンより

更新日:2017/08/23

筆者

高知新聞社 編集委員 又川晃世さん

母の背中

 昨年、会社の永年勤続休暇を利用して、母とソウルを旅した。入社25年になると、特別に1週間の連続休暇をもらえる。新聞社という職業柄、まとまって休みが取れる機会はめったにない。男性たちは日頃の罪滅ぼし?とばかり妻を旅行に連れ出す。共働きのわが家にとって、最大の功労者はなんといっても母である。

 私の家と実家は同じ団地内にある。2人の娘は中学に入学するまで、夕方は祖父母宅で過ごし、夜、私が迎えに来るのを待った。実家という気楽さにどれだけ助けられたか知れない。

 ともに支えてくれた父は60代の終わりに脳梗塞の後遺症で要介護となり、母の負担は一気に増した。母は10年近く献身的な介護を続け、5年前、父を見送った。孫たちも成長し、ようやく趣味の時間を持てるようになった母も既に80歳が近い。旅行好きの母を、元気なうちに1度は海外へ連れて行きたいと思っていた折の好機到来。「僕らは定年になったら旅行はいつでも行けるから」。夫も同じ気持ちで送り出してくれた。

 無事にツアー日程をこなし、帰りの飛行機に乗ったときだった。緊張感から解放され、ほっとしたのだろう、突然母が言葉を詰まらせ、目頭をぬぐっている。「この年で、海外旅行ができるなんて、思いもしなかった。これも元気でいるおかげ。本当にありがたい…」。照れくさくて顔を見られなかったが、母に恩返しができたことを父も喜んでいるだろう。

 思えば、私たち親子は、女性として対照的な生き方をしてきた。専業主婦で、家族にひたすら尽くし、そのことを喜びとしてきた母。片や仕事一辺倒で、いつも  時間に追われ、子どもや家事に十分手をかけられないでいる私。母は同世代の典型ともいえるが、子どもだった私によく言っていた。「女性も経済力を持たなければ」と。

 母の結婚生活を振り返ると、同じ町内出身の父と、親が勧めるまま23歳で結婚。父の仕事の関係で全国をほぼ3年おきに転々とした。見知らぬ土地での子育て。情はあるがワンマンだった父。実家に帰りたいと思うことも1度や2度ではなかったはずだ。

 娘にとって母親は、最も身近な生き方のモデルだ。価値観や言動は、娘の生き方に決定的な影響力を持つ。もとより自立心が強かった私は、仕事を持たない人生など考えられなかった。なぜ、仕事を続けるのか。問われたとき、いつも母の背中が浮かんでくる。

 さて、私の長女は現在大学3回生、就活まっただ中である。全く異なる2人の女性像を身近に育った彼女は、どんなライフプランを描いているのだろう。自慢できる背中を見せられなかった私は、内心、穏やかではない。




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