ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 2014年12月1日発行メールマガジンより

2014年12月1日発行メールマガジンより

更新日:2014/12/01

今回のエッセイは、NPO男女共同参画ポレール理事の岡崎邦子さんからのバトンです♪

筆者

I女性会議 山中君恵さん

「家事共同参画」

 私が進路を決める頃、母から「女も何か資格のある仕事に就いた方がいい」「結婚しても仕事はやめなさんな」との助言をもらった。結婚しても働いていた母だったが、私が生まれて半年ぐらいして、育児をしながら働き続けられなくなり、退職したそうだ。今のように0歳児保育はなかった頃だ。子どもたちが少し大きくなり、生活のために再び仕事に就いたが、特技があるわけでもなく、気に入った仕事は見つけられなかった経験からの助言だった。
 私はその言葉を心にとめ、保育士の資格を取り就職した。公立だったので、地方公務員として男女の賃金格差もなく、これで働き続けられる、経済的自立はできたと思った。
 働き始めると、職場の先輩たちの様子から、結婚すると家庭責任はどうしても女性に多くかかっている大変さが見えた。小さい子をお守りさんに預けて仕事をし、家事もこなしている。けれども時にはみんなで、子ども連れで一泊の慰安旅行にも出かけ、子どもたちを寝かしつけてからおしゃべりに花を咲かせるたくましい女性たちだった。私は大変さを覚悟しつつ何とかなるという気持ちも持った。
 そんな私に、“共に家庭を営む”という人との出会いがあり結婚。はじめは時間に余裕のある方が家事をとままごとのような生活だったが、出産、育児が始まるとがぜん忙しくなった。
 私が第一子を出産した前年から、教師、看護師、保育士等の専門職には無給だが育休制度ができ、私は先輩たちのように産休明けからお守りさんに預けての職場復帰ではなく、育休を取って子育てに専念する期間も得た。そんな私に母は、「昔、一緒に働いていた人が今もずっと働いている。あの頃育休があったら私も仕事をやめるようばざったかもしれん。」と言ったことを覚えている。男も女も働き続けるには社会制度も必要なのだ。
 育休が明けると、しばらくは母に遠くから通ってきてもらい保育してもらった。保育園に入園すると、子どもを送っていくのは夫。お迎えはお守りさんにお願いした時期や父の時代もあった。子どもが病気になっても私はすぐ職場が休めないので、病院に連れて行くのはもっぱら夫。頼める人みんなの協力で成り立っていた毎日だった。
 そのうち夫の仕事がだんだん忙しくなり、家庭責任は私に多くかかるようになってきた。子どもたちが中高生の頃は毎朝弁当を、夫と父の分も含め4つ作り、夜も仕事がある時は夕食分も何か用意した。でもこれも職場ではあたり前のこと。みんなそうやって働いていた。
 夫の職場が週休2日になった時(保育職場は土曜も勤務の日があり、別の日に代休を取る)、日曜日の食事は夫の担当を提案。久々に“共に営む”が少し復活した。日曜は料理をしないので、その分他の家事をしたり、ゆっくりショッピングや趣味も楽しんだ。忙しい日々の中でリフレッシュできる大事な日となった。
 夫が私より少し早く退職を迎えた時、我が家の家事担当のシフトは夫に移った。夫は料理本を買ってきてレパートリーを増やし、我が家の献立の幅が広がった。食品表示を見て買い物もするようになり、健康に関する情報も一方通行でなくなった。
 私も退職した現在、家事は半々。大まかな掃除は夫。細かいところは私。洗濯は、夫は全自動洗濯機派、私は二層式派(我が家は以前から洗濯を手早くするため2台の洗濯機を設置)。夫の入院や親の介護などいろいろある中で、臨機応変にやっている。
 掃除、洗濯物干し、買い物、調理、家事はいい運動、脳トレーニングにもなる。女性の平均寿命が長いのはきっと男性より家事をしているからだろう。
 無報酬だから軽んじられているけれど、実は人間が生きる基本をささえるのが家事。その効用に気づいた今、人は男も女も経済的自立と同等に、生活者としての自立も大切だと思う。




g-plusone