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【リレーエッセイ】「幸せ色の見つけ方」/2015年7月1日発行

更新日:2015/07/01

今回のエッセイは、高知県庁文化生活部 副部長(総括)中村 智砂さんからのバトンです♪

筆者

カラーオフィスPERSONAL代表 大倉美知子さん

「幸せ色の見つけ方」

 「このお弁当箱、〇〇(息子の名前)には小さいんじゃない?!」と、夫が笑いながら言った声を覚えている。私は毎朝その小さなお弁当箱持参で、鏡川沿いにブンブン自転車を漕いで、ソーレの「簿記・ワード3ヶ月講習」にすべり込んだ。16年前の秋の事だった。

今年は結婚30周年!「男女雇用機会均等法」が施行される前年に、同期入社の夫と結婚して、転勤族の専業主婦となった。一人息子が中学生になった平成11年に、四国初となるカラーオフィスを個人開業し、現在に至る。

昨年、息子が父になり、ママはめでたくグランドクラスに昇格。母を含む4世代に気を配りながら業務をこなす、ワーキンググランマとなった。初めて愛おしい新生児を抱っこした翌日は、マウスを持つ右手がプルプル震えてポインターが定まらず、次からは左手で座らない首を支えるようにした。

奇しくも「男女共同参画社会基本法」が施行された年に、兼業主婦となった。「男女の性差なく能力を発揮できる機会を確保する為」に、公私ともに色んなモノと戦ってきたように思う。

 公では、2007年度から高知大学でキャリア支援科目「プライベートデザイン講座~幸せ色の見つけ方~」を開講している。学生には16コマを通して、自分が本当に幸せだと思える生き方を探求し、様々な考えや人生に触れ、ダイバーシティ社会を担って欲しいと願っている。

プライベートでは、我が子を己の所有物と考えた事は無く、世界中どこでも好きな場所でやりたい仕事に就いてくれれば良いと思っていたので、息子が進学・就職を東京に決めた時も当然の如く受け入れていた。

3.11を私は出張先の銀座のホテルで、息子は仕事先の虎ノ門で経験した。その日を境に、日本人の価値観ががらりと変化したように思う。息子の彼女が高知での結婚を望んでくれたお陰で、息子はUターン就職を果たした。Iターン就職の厳しさを乗り越えた花嫁は、ほどなく新しい命を授かったが、立ち仕事の遅番は20時半に終わる。せめて遅番の食卓は、勤務地に近い我が家で囲んでもらう事にして、なんとか無事に女の子が誕生した。

息子の子育ては、身寄りが無い転勤先で孤軍奮闘だったので、生まれも育ちも東京で、運転免許も土地勘も無い嫁のサポートは全力でしてあげたい。できるだけ日中のタスクを夜中に済ませて、幸せな時間を作るようにしている。しかし、息子の家族が感染症になったら、学生への感染を考慮して、ワーキンググランマには充分なサポートができないかもしれない。嫁が再就職する為にも病児保育の社会支援が不可欠だ。

また、80才近い母親にも何が起こるか分からない。女性就労者数のM字カーブを北欧のような台形にするには、少子高齢化社会において、家族だけではなく社会がサポートするしくみ作りが早急に望まれる。幸せな人生を送るには、自分の幸せを自覚する事と、多様な生き方をサポートする社会基盤が必要なのだ。

それでも平成11年に開業し、ワーキングパーソンになった当初と比べて、社会の意識が変わり、随分と女性が働きやすくなった。今後は独身でも子育てや介護でキャリアを中断した方でも、その方の経験が活かせる色彩講師業の確立と育成に力を入れていきたいと思っている。

幸せ色のグランマライフをくれた、可愛いお嫁ちゃんに心からの感謝を込めて。




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