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【リレーエッセイ】「抽斗(ひきだし)」2016年8月1日発行

更新日:2016/08/01

筆者

大井美子さん

「抽斗(ひきだし)」

 母親が入っている抽斗、父親が入っている抽斗、兄弟・姉妹が入っている抽斗、おじいさん・おばあさんが入っている抽斗。

 私は昨年ひとつの映画に出会った。
それは精神障害に苦しんでいる人々が、藍染を通して少しづつ社会との関わりを持ち、少しづつ自立していく姿を追ったドキュメントムービーである。
自分の居場所を見つけられた人達は自身でも気づかなかった素晴らしい能力を発揮することができ、逆に病状や個人差により一進一退を繰り返し功を成さないケースも出てくる。
私はこの映画を観たあと次の事を直感した。
~あの映画に出ていた人達はいろんな抽斗を行ったり来たりしている~
そして我に返ってみると映画に出ていた人達に限らず、私自身も同じ様にいくつかの抽斗を持ち、又それは主人・子ども・友達・全ての人々がそれぞれの抽斗を持っているのではないかと考えるようになった。
抽斗は歳を重ね経験を積むことによって、どんどん数も膨らみ大きさも様々なものになっていく。
マトリョーシカの様に大きな抽斗の中に中くらいの抽斗、そしてその中くらいの抽斗の中にはもっと小さな抽斗があったりするのだ。
二度と開けることのない抽斗ができたり、古いアルバムの様に何年も開けなかった抽斗をそっと開けてみたらかび臭くてとても懐かしい匂いがしたりする。
自分が今どの抽斗にいてその抽斗をどう感じているのか、そこが居心地が良いのか、ひょっとしたら居心地が悪いのかもしれない。

 そんな時はちょっと飛び出て別の抽斗を開けてみるのも良い。
そこには想像もつかないキラキラした世界が広がっているかもしれない。
でも、思い切って飛び込んでみたものの時間の経過と共にそこも思っていたものと違うことに気づいたら元の抽斗に戻ったら良い。
知らない間に人はそうやって自分の居場所を見つけ自分を守ってきたのではないだろうか。
私は昔から大事にしている抽斗がひとつある。
それは読書の抽斗である。
これまでにいろんな趣味や習い事をしてきたがある一定の時間が経過すると、必ず壁にぶつかる。

 私にとってその壁はとてつもなく高く登ることはとても苦痛だ。
そしてすぐにあきらめてしまう。
そんな時に必ず帰ってくるのが読書の抽斗である。
読書の抽斗はいつも私のそばに寄り添って私の帰りを待っていてくれる。
本は私がどんなペースで読もうとどんな勝手な解釈をしようと何も言わない。
何も求めず、ただ受け止めてくれる。
どんな本を読もうと何を感じようと人と比べる必要はない。
だって私の抽斗だから。

 今、社会に求められているのは溢れかえる情報の中で、上手く自分で抽斗を探すことができない人達に一緒に抽斗を探し出してあげる事、上手く自分を守る事ができるよう導いていってあげる事ではないかと思ったりしている。




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